BIDOCORO 坂本 英典
白じゃなくていい
借金3億円。社員12人のうち10人を送り出し、父の城だった本社を売った。どん底の底で見つけたのは、漆を塗ったトイレだった。栃木・宇都宮、株式会社さかもと3代目、坂本 英典の話。

序 白い便器の前で
トイレは、白い。誰もそれを疑わない。家にも、駅にも、ホテルの一番いい部屋にも、同じ白がある。
栃木県宇都宮市に、その白に朱赤の漆を塗ってしまった男がいる。株式会社さかもと代表取締役、坂本 英典。1936年創業、80年を超える水回り設備の商社の3代目である。
彼のトイレ「BIDOCORO」は、蓋に本漆を塗り、望めば金粉蒔絵や螺鈿まで施す。東京のホテルのスイートルームに置かれ、海外から来た客がそれを見て笑う。だがこの派手な器の下には、ひどく静かな時間が横たわっている。仲間を送り、場所を手放し、眠れぬ夜を数えた時間だ。
この読み物は、その時間の話である。
一 継ぎたくなかった
株式会社さかもとは、祖父が鍋や釜を売ることから始めた店だった。父の代に井戸ポンプを扱うようになり、松下電器と代理店契約を結んで、手で押すガチャポンプの時代からモーターポンプへと宇都宮の水回りを変えていった。そこからは住宅やビルの水回り設備を扱う商社として、地元に根を張った。
3代目として生まれた坂本は、子どものころ、継ぐ気がまったくなかった。むしろ継ぎたくなかった。多分、反抗していたのだろう、と本人は振り返る。
大学を出て入ったのは、大阪の大手機械商社だった。工作機械の営業をするのだろうと思っていたら、配属されたのは新規事業のバルーン事業部。ヘリウムを入れた子ども向けの風船から、店の飾りつけ用の大きなものまで。大阪の街を自転車で駆け回り、飛び込みで売り歩いた。
ただ、入社した日に決めていたことがひとつある。3年で実家に帰る。上司にもそう公言した。すると不思議なことに、上司も取引先も、経営者になるための助言を惜しまなくなった。25歳で会社を辞め、宇都宮に戻った。
二 一個運んで、五円
戻った会社には、従業員が20人ほどいた。年商は14〜15億円。数字だけを見れば、まだ会社は大きかった。
だが中身は、パイプやバルブといった配管資材を運ぶ商売だった。社員が汗だくでトラックに積んで現場へ届けても、職人から「違うじゃねえか、すぐ取りに帰れ」と怒鳴られる。それで、1個運んで残るのは5円。相手は大手。価格で戦って、勝てるはずがない。
そんな社員に「ご苦労さん」と声をかけても、給料で返してやれない。社員を幸せにできるはずがない。若い専務は、そのことをずっと考えていた。
大手が扱っていないものを、やらなければならない。血の色をした真っ赤な海で戦うのではなく、誰もまだやったことのない海を、必ず見つけ出す。30代の半ばから、その一点だけを見ていた。
三 父の城を、売る
会社を変える絵は、専務の頭の中では早くに描けていた。売り上げの規模を追うのをやめる。少ない人数で、利益の出る仕事だけに絞る。経営者仲間に相談を重ね、結論はひとつになった。メイン事業をやめ、本社を売る。
本社は、父が築いた城だった。自分が大きくした会社を小さくするという筋書きは、社長である父の頭には最初から存在しなかった。「売り上げの規模ばかり望んだって伸びるわけがない」「お前の営業力がないからだ」。年中、言い合いになった。
そのころ売り上げは4億円ほどに落ち、借り入れは3億円を超えていた。とても返しきれる額ではない。言い合っている間にも、借金は増えていった。
父を説得するのに、7年から8年かかった。そして配管資材の卸から撤退し、本社の土地と建物を売り、在庫をすべて売った。経営者仲間は「よく判断したね、なかなかできないよ」と美談のように言ってくれる。だが本人は今でも、ほかにやり方があったのではないか、と思っている。
四 明日から、どうすればいいんですか
縮小の絵を描くのは簡単だ。難しいのは、その絵の中に人が入っていることだ。社員は12人。それを2人にする。祖父の代から勤めてくれた人にも、辞めてもらわなければならなかった。胃が痛い、という言葉では足りなかった。
一人ひとり、順番に呼んだ。会社をこうします、と伝えた。その場で泣いた社員が何人もいた。明日からの生活はどうしたらいいんですか、と問われた。
ある社員は言った。専務、会社を残すためにはそうしたほうが、私もいいと思います。ありがたい言葉だった。けれど、そんな言葉を社員に言わせてしまった自分は、経営者として最低だ。そう思った。
ただ、坂本は黙って手放したわけではなかった。事前に、地元の経営者仲間5〜6人と顧問税理士に話を通し、社員の受け入れ先の当たりをつけていた。「分かった。任せときな」。そう言ってくれる人が何人もいて、実際に仲間の会社や税理士事務所へ移った社員がいた。
自慢ではないが、と前置きして彼は言う。当時の社員とは、今も会えば普通に話せる。「元専務、今すれ違いましたよ」と笑いながら電話をかけてくる元社員もいる。苦しい思いをさせた。恨まれることがなかったのが、せめてもの救いだった。

五 持たざる経営
会社を作り変えるとき、決めていたことが3つある。
ひとつ。水回りの設備を提供する、という存在価値と強みは守り続けること。ふたつ。会社を続けること。決算期が第何十期と積み重なっていくことそのものに価値がある。みっつ。持たないこと。
土地や建物があれば、金持ちに見えるかもしれない。だが自分にとっては、何の役にも立たなかった。これから先の激動を思えば、身軽に、いつでも会社の形を変えられるほうがいい。核になる部分だけを残し、あとは外に任せる。
作り変えがほぼ終わった2019年5月、元号が令和に変わるのと同じタイミングで、坂本は3代目を継いだ。46歳。借金は3億円、まだそのまま残っていた。それでも、父とけんか別れにはならなかった。最後には父も納得してくれた。父は今も元気で、スポーツジムに通っている。
六 トイレは、いつから白だけになったのか
話は少し戻る。専務として会社を削っていた日々のどこかで、坂本は愛知県常滑市の焼き物の博物館を訪ねている。そこに、江戸の終わりから明治のはじめに作られた小便器が展示されていた。染付で、装飾がびっしりと施されている。
それを見た瞬間に思った。めちゃめちゃクールで、格好いい。
帰り道からずっと、ひとつの疑問が頭に残った。そういえばトイレは今、白しかない。バブルのころには20色くらいあったのに。いつから、白だけになったのだろう。
もうひとつのきっかけは、地元にあった。日光東照宮で漆の塗り替えをしている様子をテレビで見て、実際に日光まで足を運んだ。漆は、きれいだ。昔の器に宿っていた光が、そのまま目の前にあった。これを、トイレに塗れないだろうか。
七 「塗っちゃうかい?」
そのひらめきを、地元の経営者仲間との酒の席で口にした。たまたま同じ席にいたのが、漆芸家の宮原隆岳さんだった。東照宮を見て、漆をトイレに塗れたら格好いいと思ったんですよね。そう切り出すと、返ってきたのは一言だった。
「塗っちゃうかい?」
ふだんは、ただ一緒に酒を飲んでいるだけの仲間だ。けれど、こういうときに力を貸してくれる。一人じゃ何もできない。社員を送り出したときも、器を作るときも、支えたのは同じ顔ぶれだった。

八 こんなもん、売り物にならん
蓋に漆を塗るのは、難しくなかった。プラスチックと漆は相性がいい。難しかったのは、本体の陶器の部分だった。
宇都宮の塗装屋と、ああでもない、こうでもないと試作を繰り返した。塗る。乾かす。カッターで削る。べりべりと漆がはがれる。こんなもん、売り物にならんわ。その言葉を、何度も聞いた。
最後に突破口になったのは、塗る前の下処理の工夫だった。派手な発明ではない。地味な段取りを変えることで、はがれなくなった。
その塗装屋とは、仕事で関わる日が来るとは思ってもみなかったという。ここでも、酒の席の仲間だった。

九 思い描いていたスイートルームへ
2016年、BIDOCOROをリリースした。開発を始めるとき、この器がどんな場所に置かれるべきか、ブランドの絵を先に描いていた。その絵に描いていた東京の有名ホテルのスイートルームに、2台入れることができた。箱根の旅館にも置かれている。
事業として成り立つ規模にはまだ届いていない、と坂本は隠さない。目標は年間50台。相手はホテル、旅館、飲食店。幸い、海外からの客は増え、宿や観光施設への投資も盛んだ。多くの外国の人の目に、日本の漆が触れてほしい。
ただし、会社を大きくしたいわけではない。受け売りの言葉だが、と断って彼は言う。記録よりも、記憶に残る事業をしたい。売り上げや利益率という数字の記録ではなく、「さかもとって、こういうことやってたんだ」と刻まれる記憶のほうを。
そして、人生を賭けた夢がもうひとつある。オリジナルのシステムキッチンを作ること。まだ頭の中に描いているだけで、大風呂敷を広げている段階だと笑う。
十 「しなければならない」の呪縛を解く
3億円の借金は、2024年7月に完済した。これでやっと事業承継が終わる。先代の父と母を、本当の意味で楽にさせてあげられる。
創業80年を超える会社を潰せない、という重圧はあまり感じていないという。4代目をどうするか、という問いは確かにある。まあ、どうにかなるでしょう、と言う。
事業承継についてひとつだけ言うなら、と坂本は言葉を選ぶ。後継者は、「しなければならない」から発想が始まる。会社を守らなければならない。社員を守らなければならない。そのために、売り上げを伸ばさなければならない。
一方で、自分で会社を興した人は、「あれをしたい」「これをしたい」からすべてが始まっている。この転換が自分の中でできたことが、いちばん大きかった。
世の中の後継者は、過去や会社の歴史という呪縛に、そんなに縛られなくていい。自分のやりたいことをやればいいのではないか。
結 新しい色を、重ねていく
受け継ぐことは、同じ道を歩くことではなかった。祖父が鍋釜を売り、父がポンプを広げ、息子は父の城を売って、白い便器に朱を塗った。渡されたものに、新しい色を重ねること。それが、この家の継ぎ方だった。
白じゃなくていい。決められた色じゃなくていい。誰も見たことのないものを、この手で形にすればいい。
今日もまた、白かった世界に、新しい色を塗っていく。